小さい頃になりたかったこと、やりたかったことって何でしたか?
私は有りませんでした。ただ何となく毎日を生き、呆然と世の中を眺めては状況に流される日々。
多分これが普通です。
初めて自分でした大きな選択は入学する高校だったと記憶しています。
「高校時代くらい頑張って勉強しても良いかな。」
そういうことを両親に行った記憶があります。
そこから就職が手堅い理系を選択し、進学クラスに入り良い友達に恵まれ、大学も就職が手堅い工学部。そして電機業界に入り給料が少なかったためより給料の良い自動車業界に入り、その後さらに好待遇な外資系企業に入り今に至ります。
かなり現実的な選択をしてきました。
大学時代は釣りや音楽、接客業を始めとした様々なアルバイトをしました。経験のために借金をしてでも実行することが功を奏し、今の融資を活用した不動産・太陽光投資での一定の成果につながったと思っています。
この辺りで一通りの経験値の土台がスペクトラムの様に広がり、それは今に至るまで大きくは変わっていません。
思うに一つ一つの行動が小さな光の種となり、日々を漫然と生きている限りはその光の種は大きくなることなくノイズの様に分布し、全体を見た時にははっきりとした色は見えません。
それを選択的に取り出し、そこに時間を注ぎ水を注ぎ、意図的に選択的に増幅することではっきりした色が見えてくるのだと考えています。
つまり人生は自分自身の選択により色鮮やかに形成され、待ち続ける限りはいつまで経ってもノイズの広がる真っ白な色味の無い人生が続くだけです。
私は恐らくあと50年くらい人生が続くのだと思います。まだまだ時間はたっぷりあります。工夫すれば出来ないことはありません。
資本形成は純資産1億円を近々達成しますし、個人レベルでのエネルギー食料自給生産システムは実現のための要素技術を全て持っています。そしてこれから世界に展開するビジネスを創ります。
ここから先は基本詰将棋です。
もうサラリーマンであることは重要では無く何をやっているかが重要で、今の会社でやっている様なことが会社の助け無しに出来る様になった時が独立の時ですね。
もちろん若い頃と同じとは行きません。若い故の周囲の許しはあり得ませんし、一日に何時間も持続できる熱中力の様なものはありません。その分は若い頃には無かった世の中に対する理解の深さがあり、それは十分に釣り合いの取れる優位性です。
理想の実現に向けて今日も一日努力を積み重ねます。前向きに苦しみましょう(笑)