AIによるイラストの著作権侵害や仕事の消失、これが大きな社会課題になりつつあります。これは絵に限らず、デスクワークとして出来るあらゆる領域で同じことがこれから起きるのは明らかです。
言われたことをやるだけの単調作業と言う仕事は必ず滅びます。技術的に代替が容易で、あとはもうコストの問題になるからです。コストは効率化により解決が可能で、その方向に人類が向かえば人間がやる単調な仕事の消滅は自明です。
AIは単調作業をハイスピードにやることに非常に長けています。学習素材さえあればその範囲内で超効率的にモノを作ることが出来る。
これは人的資本の拡張技術であり、文化資本と呼ぶものでは無い。つまり創作や芸術とは無関係の白もの。もちろん絵をプリントアウトすることは出来るが、絵を描くことは出来ない。
これで仕事を奪われるということは、つまりは芸術じゃなくて作業なのです。その作業の仕事が沢山あったのが今までの絵の業界で、それが無くなるという風に捉えれば進化の方向性は見えてきます。
そもそも人間とAIという片や生体部品、片やプログラムで動くものを同一視てしても意味が無くて、人間の劣化模倣を超効率でやるのがAIです。従ってこの点を加味して、人的資本の拡張に使うのが有効なAI活用となります。
私も自分なりの絵が描けるようになったら、その後はAIでの自己反復学習をさせるつもりです。その提案を修正し形にすることで絵を超高速で描き、アニメーションをさせることも容易となるはずです。
もちろん自分の絵を他者にAI学習に使われせるなんて絶対に許可しませんし、絵の無断転載や無断商用利用には法的措置を取ります。Youtube動画の台本や作風のパクリに対しても限度を超えていると私が判断すれば同じことします。
資本家としてのこれからの人生で磨くべき能力の一つは法的権利の行使能力です。これはやりたくはないものですがゲームルール的に必要ですね。
やっぱり創作の起源は自分であるべきで、絶対的にパクリや著作権侵害ベースであるべきでは無い。これだけは言い切れます。そんなことをすればクリエイター文化が消滅するのは明らかで、私は他者によるパクリや権利侵害は絶対悪と捉えています。
パクリの屈辱と言うのはパクられて初めて理解できます。AIイラストで稼ぐ人を敵対視する風潮と言うのは痛いほど理解が出来ます。パクるための対価が少なければ少ないほど、パクリによる被害は拡大して行きます。
パクリにはリスペクトが無い。AIにもAI絵師にもリスペクトは欠片もない。パクるやつはみんな一緒。この辺りにAIの著作権問題が集約されている。問題と言うのは完全に白黒で語れないものですが、パクリは比較的容易な問題だとは思います。
誰かからの影響は必ず受ける物、絵も一緒で模倣は訓練の一つ、どこまでがオマージュでどこからがパクリと言うのか、それでもパクリや盗作とそのためのAI活用と言うのはやっぱり誰が見ても明らかな悪だと私は考えます。
ビジネスも特許権があるから技術開発が進むわけで、創作をAIで無限盗作をすれば何が起こるのかは明らかです。それでもそれがルールとして禁止されるまでは使ったやつが強い。そういう世界を私は絶対に認めません。
ユーザーメリットがあるからOK、であればパクリで作った安い製品が大量に供給される世の中になりますが、いずれ技術開発をする人が消滅し、技術の発展は停滞します。それでも新しいものが生み出される可能性もあるので、ここからはもう人々がどういう世界を望むか次第です。
選択を誤れば人類が滅びますし、正しい選択をし続けることは社会の上位に位置する人間の義務です。ここはやっぱり絶対に大衆にゆだねるべきでは無くて、世界の指導者がきちんと見極めるべき問題です。
私も小さくとも一資本家として、ここの方向性の是正は義務の一つです。
AIという技術を決して人間の代替と考えず、あくまで人間の機能を拡張する技術だと思って使いこなして行きたいですね。人としての判断を個々人が見誤らないことを願わずにはいられません。