誰だってきつい時ってありますよね。私だってそう、どうしようもなく打ちひしがれて世の中の全てに拒絶されている様な気分になったことなんて何回もあります。
それでもそういう時にも何だかんだ傍に居てくれる人ってやっぱりいます。
胸中はきっと複雑でしょう。自分も一緒に周りに糾弾されるんじゃないか?そんな思いを抱えながらも、正義感の強い人と言うのはどんな時にも傍に居てくれるものです。
私も転職したての頃、一緒に入社した外国人の同期がそこの上司に明らかにいじめられていたことがありました。私はその上司のことも好きで一緒に釣り行ったりと仲良かったのですが、その同期のことも好きでした。
まあたぶんお互い様なところがあって、欧米人特有の我がままさが気に障ったんでしょうね。
上司の態度はチームに広がり、みんなしてその人につらく当たっていたように思います。
それでも何故だろう、私はその人の良い所を知っていたので、いつも中立に努めて傍らで味方でいるようにしました。きっと私も逆の弱者の立場になったことがあるからそういう自分でありたかったんでしょうね。
そうやって上手く私なりに空気のバランスを調整しながら、少しずつ立ち直り輝いて行くその人を見て行くと、今度は私もその人に元気づけられたものです。
孤独を感じていた時、周囲から攻撃を受けていた時、それでも私の傍に居てくれた人を私は一生忘れません。
そりゃ弱っている人に手を差し伸べるなんて普通は怖くて出来ません。自分も一緒に引きずり込まれる不安や自分自身の中の本能的な弱者への攻撃性もあるのは人として仕方のないことです。
それでも私は自分の生き方に誇りを持ちたい。私は自分の信念に従い、例え世界中がNoと行っても私は自分が正しいと思うことにYesと言いたい。
辛いときに手を握ってもらった経験、貴方にはありますか?私はあります。
辛い人の手を握った経験、貴方にはありますか?私はいつだってそうあれる自分でいたいと思います。
そういう経験は一生消えません。人との信頼を築くって、そういうことだと思いませんか?