前回の記事でも書いたのですが、資産形成が進み始める時というのは自分の価値観を理解し、その価値観に対して廉価に最適化された生活設計を築けた後に始まるものです。
何が好きなのかも理解せずにお金が漏れ出ている状態では資産形成は進みませんし、投資活動に対するある種の確信が無い限り投資は続きません。
ああ、毎日何だかんだ幸せだな、そういう状態で自分が何を好きでどういう投資が合っているのか、それが分かって初めてお金持ちへのスタートラインを切ることが出来ます。
思えばサラリーマン時代は普通に都内の一等地に暮らせるくらいの収入は有りましたし、所謂労働者的な観点での見栄を張った暮らしをすることも出来ました。
ですが私は書籍を読んだことでお金持ちになるためには自宅の費用を抑える必要があることを知り、その生活の中で自分が何に喜びを感じるのかを大切にして余剰資金をひたすら投資に回してきました。
上手く行ったものもそうでもなかったものもありましたが、何だかんだ今ではこうして毎日を自由にできる生活を手に入れることが出来ました。
若い頃に労働者なりの贅をつくした生活をしていたのも良かったと思います。お金を使った贅沢の限界が今こうして見えているのもその時の経験がとても生きています。
そんな人生の先で生きている今の日々はもうほんとにありふれたドラマや小説に描く日常の様な普通の生活で、何一つ人より贅沢なこともしていませんし見た目はほんとにごくごく普通の一般人的生活をしています。
幸せってそういうものじゃないですか?家族が居て子供も周りの人達もとりあえず元気で、一日を過ごすに十分なお金と楽しめる趣味と何より心も体も健康的な状態でいられるということ。
まあ本当はこれ以上求める必要なんて全く無いんです。これほんと心の底から理解しています。
ここから先の世界はほとんど私の好奇心で切り開くものですが、それはそれでありふれた幸せな生活の延長線上の営みとなることでしょう。結局幾らお金を持ったところで、幸せの本質なんて富める者にも貧するものにとっても何も変わりません。
こういう穏やかな幸せも悪くないなと、そう思えたら少なくとも資産はそこからどんどん増えて行くでしょう。
さて仕事もこの辺りで切り上げて、ちょっくらスーパーに買い物行って畑の手入れをして体を動かして、今日の夕食の料理でもしようと思います。
この世界の美しさは私の目にははっきりと映っているのです。