人間いつかは死ぬことが確定している以上、死について考えるというのはまあ最良の投資先の一つと言えるわけで。
ウォーレンバフェットが年末にバークシャー・ハサウェイのCEOを退任するらしいのですが、これもまた死へのプロセスの一つなのでしょう。
彼が100年近く掛けて熟成させた優れた考え方をフルインストールしている私にとってはその存在はいつまでも滅びることは無く、こんな黄金の様に輝く人格性がYoutubeや本を読んでいるだけでほぼ只で手に入るなんてすごい世の中だなと思います。
今既にやりたいことをやっている以上、私個人はいつ死んでも悔いはないと考えています。まあ楽しいので今終わりにするのはNintendo Switchの電池が切れた様な残念さがありますが(笑)。
ただまだ死ねないなと感じるのは、まだ娘が幸福の軌道に乗りきれていないことを認識しているからであり、少なくともそこに対して見通しが私なりに出せるまでは死ねません。
正直死ぬこと自体は恐怖でも何でも無く、あくまで生からの解放だなと感じます。そこに待つのは永遠の安らぎなのか、それとも高次元世界への転生なのか。これはぶっちゃけ私も分かりません。
たぶんチャーリーマンガー氏は知っているはずなので、出来たらあの世からYoutube配信して欲しいなとか本気で感じます。これたぶんなのですが絶対彼らはやろうとしているはずで、ただ私たちがそれを上手く知覚できないだけなんでしょうね。
まあでも思うのは私の考えなり外観なり仕草なりは全てデータ化が可能なので、AIにディープラーニングさせて私の存在を再現させれば、実は子供が寂しくなることも無いんじゃないかなと言うことです。
もしこれが社会の公的サービスとして普及するのであれば、人類はもはや死を克服した存在として新しいステージに進めるはずです。仮に意識の根源を観測することが可能になれば、そこから意識の存在を制御し操作することもできるようになります。
なんかこういうことですよね、今起業で人類が取り組むべきことって。便利なサービスを生み出すとか社会の課題を解決するとかも大切ですが、それらはもうある一定レベルやり尽くされてきている様な気もします。
例えば意識をどこか別の場所にある肉体に転送出来たら、相当な旅行コストカットが出来ます。人間のセンサーを全てデバイスで再現するのは難しいですが、似た様な物なら作れますしそれで十分と言えば十分なのかもしれません。
だって3Dゲームしてるだけで楽しいやん、それなら疑似的な物ならそんなにハードル高くはないんじゃない?と思いますね。リモートワークならぬリモートライフ。ニューラリンクが実現すればその先はそういう世界です。
お金に関しても私が持っている資産ってこの世界でしか使えないものなので、死んだら死んだで娘に譲ってまたその次の世代に引き継がれていくわけで。それが自分の孫なのか誰かの子供なのかは小さなことなのだと思います。
・・・って観点で物事を考えていざ今の生活に戻って見ると、何とも世の中私も含め小さなことで右往左往してるなと思いませんか(笑)?
人生なんてほんとに気楽なものです。思う存分楽しんで行けば良いと思います。