ホンダの再利用ロケット実験成功、なんか嬉しくなりました。

ホンダらしいとほほえましい

この会社はいつもそう。活きの良い新しい価値観を取り入れてそれをやってみろと言ってみる。すごい厳しい会社ですけどやりたいと言えばやらせてくれるし目立ったら伸ばしてくれる。

私もこの会社に今の価値観のかなりの部分を育ててもらいました。

実はトヨタも受けてトヨタは落ちてホンダは受かりました。トヨタは最終面接まで行ったのですが健康診断を出した瞬間に落ちました。

手ごたえがあったのに落ちたことに対してものすごい違和感があったのですが、実はその理由は分かっていて私には色覚異常があるからです。でも本田はそれを受け入れ私を採用しました。

「うちはそういう部分で差を付けるようなことをする会社ではありません、だから結果を出したくないのなら全然構いませんよ ^ ^ ) 」。人事の方が言っていた言葉を今でも覚えています。

これがホンダの強さです。トヨタは優性思想、ホンダは可能性思想です。どっちも好きですけどね。

ホンダはイギリスに住んで居た子供の頃から知っています。イギリスの子供もホンダはみんな知っていました。人生の中で何度も登場してくる会社であり、不思議な縁がある会社なんだなあと思います。

実は妻の父親も元々HMの人間です。

今でも思うのはホンダを辞めないで生きて行く道ならあったなということです。ホンダを辞めたのはやりたかった四輪開発の仕事に対して素直に勤務地が合わなかったからで、大宮から通って見たのですがあまりに遠すぎて体力が2年で尽きました。

これ意外とマジな話で、通勤が往復5時間というのはちょっと耐えられませんでしたね。激務の中で睡眠不足が堪えました。

本当は青山とか和光とかに転属しても良かったのですが、ふらっと行った転職面接でかなりの好待遇を提示されて外資にも興味があったので転職しました。実際激務ではあったものの気楽に働ける職場で様々な経験も出来て給料良かったので資産形成も進み、今の人生を見るにとても良い選択だったとは思いますが、ホンダに居たら居たでそれはそれで悪くない人生になっていたのかもしれないなとは今でも思います。

沢山の良い先輩に面倒を見てもらって、私みたいな出来の悪い人間に沢山の愛情を注いでもらって、厳しくも優しい会社だったと振り返り思います。もっと頑張って会社のために働いても良かったのかもしれないな、なんて思ってしまうこともあるほどに会社の先輩方には本当にお世話になりました。

それは決して無駄にするつもりは無くて、これから創る会社の中で後輩の面倒をしっかり見てしっかり育てて、私はそうやって先輩方から受けてきた恩を綺麗に10倍にして返して行こうと思っています。

作っている車も素晴らしくて、フリードハイブリッド燃費超良いしデザインカッコいいし故障も全然無くてミニバンなのに走りも楽しいし大荷物でもほいほい載せられる。言葉に出来ない様な感性領域で手放したくない車、という感じがします。

実際同じ車を4年以上乗ったのは今回が初めてですね。学生時代は親や兄弟からもらったホンダ車を乗っていて、ホンダ入ってからは逆に勉強のためにとドイツ車トヨタ車に乗っていましたが、結局ホンダ車に落ち着いてきたところを見るにやっぱりホンダが好きなのだと思います。

私の今の生き甲斐は2つあって、

①子供を育てること

②次世代に先輩方から受けて来た恩を送って行くこと

私自身の楽しみや快楽と言うのはちょっとした気晴らしにすぎません。それよりも大切な生きる使命が私には有ります。

私は本田宗一郎を超える経営者になって、本田宗一郎から連綿と受け継がれて来た恩をまた次世代に送って行きたい。

私の強みの一つにはしっかりとした大企業で育ちその巨大な組織を運営するためのシステムや理念が見に付いていることと、何よりそれらを含む大企業で長年認められてきた実績と社会的評価があります。これはこれで私と私の法人のブランディングに思いっきり活用させて頂きます。

私がどんなアホなことをやっても自分を認められるのは、やっぱり学歴や職歴みたいな一般的に通用する社会資本の恩恵があるからです。

あとは命を燃やすだけだなと、本当にそうだよなと、少しずつノイズが消えクリアになって行く私の人生のこれからの進むべき道を感じてしまいますね。

私も負けてられませんね
とおる

FIREした元サラリーマンが資産運用収入を土台に様々な事業に挑戦しています。実体験に基づいた情報を発信していきますので、同志の皆様のお役に立てば何より幸いです。 略歴:国立大学大学院卒業後、日系電機メーカ、日経自動車メーカ、外資系メーカで開発業務を遂行。会社勤めの傍ら木造アパート1棟、太陽光発電所2基、株式、現金コモディティ他をコアとした資産運用を8年実施、生活費相当の資産収入を築きFIREを達成。現在は経営者として事業経営の日々。娘1人の3人家族。