最近思うのですが、年齢を重ねるほどに段々と生きる目的が自分のためから他の誰かのためになって行くように感じています。

段々と自分のために生きていても物足りなくなって来るんですよね。誰かが喜んでくれるのが一番嬉しいみたいな。

今の私の生きる目的はもうほとんどが将来のためであり、それは自分自身の将来も含まれますが自分の子供やそれを取り巻く世界の環境のために生きている部分の方が大きい様に感じます。

投資における株式と債券の比率にも出て来るタイトルに上げた比率ですが、今の私自身上記の式で半分以上を自分とするのになぜここまで世界のために働こうとするのだろうと感じるのは、やっぱり子供が居るからなのだと思います。

自分→子供となり、子供は当然自分ではない世界の一部ですので、その世界の分が今こうして働くことの目的の一つに大きく自分事として入ってきているのだと思います。

この子が幸せになるためのあらゆるパターンを検証し未来予測し、その中での最適解を導き出しそれを現実世界として実現させる。それこそが私が今生きている目的の大半を占めるものなのだと思います。

私自身は少しずつ老いて来ています。若さの魅力も美しさも可能性も日々確実に衰えて行き、その行き着く先が周りの老人と同じということはもはや明白です。

世間に大して見向きもされず、ただただ良い老人として生きるしか道はありません。これはやっぱり逆らえないものですし、老人方に漂う悲壮感というかどことない寂しさの理由もまた仕方のないものなのだと思います。これは成功者であれ何であれ同じことで、遅かれ早かれいずれ世間からは見放され代わりに若い人たちが注目を浴び、且つまたそうあるべきなのです。

人は老いに逆らうことは出来ませんし、老いは素直に受け入れるべきだと思います。

その代わりに何を育てて行くのか?というのが老後の価値を決定づける物だと感じます。その中で幸せを感じられることが、老後の人生を豊かにしていくための秘訣なのだと思います。

ではそのために今この時点で何が出来るのか?将来誰かを育てるポジションに付くために今のうちから投資しておくことは何なのか?そこはそこで見落とさない様にして行きたいですね。

まあ結局はこれから育つものに投資をしていくというだけのことで、それが若い自分なのかこれから可能性を持つ若い人たちなのか。人生というのは非常にシンプルなものですね。
とおる

FIREした元サラリーマンが資産運用収入を土台に様々な事業に挑戦しています。実体験に基づいた情報を発信していきますので、同志の皆様のお役に立てば何より幸いです。 略歴:国立大学大学院卒業後、日系電機メーカ、日経自動車メーカ、外資系メーカで開発業務を遂行。会社勤めの傍ら木造アパート1棟、太陽光発電所2基、株式、現金コモディティ他をコアとした資産運用を8年実施、生活費相当の資産収入を築きFIREを達成。現在は経営者として事業経営の日々。娘1人の3人家族。