失われた30年と言われたバブル崩壊以降のこの三十数年ですが、当時まだまだ子供だった方々もこの期間の取り組み方で大きな差が出てしまっただろうなと思います。
自分の人生にどれだけ真剣になり、悩み藻掻き抜いて頑張れたか、これが結果として明らかになっていることでしょう。
その中で私は何故幸福を掴むことが出来たのだろう?と思うにそれはやっぱり逃げずに出来の悪い頭を使い切って答えを探し続けたからだと思います。そして良く分かったのは頭は使えば使うほど良くなるということで、まあ私みたいな出来の人間でもやればそこそこレベルが上がるということですね。
時間の流れは残酷ではなくただただ冷淡です。頑張る人には頑張ったなりの未来が来てその逆もまたしかりで、ただただやった分がプラスになって降り積もるだけの当たり前の結果をもたらします。
何と言いますか長く生きれば生きるほど、当たり前のことこそが正しいのだなと思うようになります。
この10年ほどはリベラルな思想が流行し人類は多少進化の道筋を踏み外したような感覚がありましたが、ようやくそこから抜け出し保守的な当たり前思想が再評価されてきて私も一安心しています。
一方でやっぱり不確定性の追求、拡張可能性の探索、というのは人類の進化のためにこれもまた必要なものであり、そういう点でリベラル思想もまた世の中に必要な物なのだとも思います。
要はそのバランスですね。
なんかここにきて本当に「当たり前のことなんだな」とあらゆる場面で思うようになりました。正しいか間違っているかとか、成功するのか失敗するのかとか、それは当たり前の論理で当たり前の努力をして当たり前に進めれば、おのずと幸福って掴めるんだなと言うことを最近は強く感じます。
例えばお金を稼ぎたいとかは簡単で、誰にでもわかりやすいものを提供する、それをより多くの人達に広めながら、より原始的な快楽につながりやすいものに仕上げて行く、とかやっていれば売り上げはぐんぐん上がるでしょうし。
例えばお金持ちになりたい、なんかもいつも私は動画発信で当たり前のことを当たり前の様にしか話していません。それだけでなれてしまうのです。
そして例えば幸福になりたいというテーマにしたって、人としての幸福は人類として何万年も続けて来た誰もが持つ生殖本能に従い家族を形成し子孫を残して行けば、何も考えずともある日何事も無く幸福な生活に居ることに気づきます。
全てが当たり前すぎて、余計な理性なんて必要無いんじゃないかと思うほどに、この幸福と言うテーマはシンプルで簡単なものです。私の周りを見渡しても色々な人たちが居ますが、結局家族との幸福以外のものを多く持つほどに人生を拗らせ困難にしているだけにしか見えません。
あくまで家族を中心にし、仕事はまあ暮らすための手段としてシンプルに省エネにやっているほどに、その顔は幸福そうな余裕に溢れています。一方で高収入と大きすぎる資産を築くほどに、その顔は苦労と苦悶に満ちている、とはまあ直接は言いませんが(笑)。
結局家族を最優先にし、仕事とお金は必要最低限にする、資産運用インフルエンサー的に言いますと資産収入が生活費をほどほどに上回っている、且つ本当に好きな事で無理のない量の仕事を活き活きとこなしている、というのが人生の最適解となるのでしょうね。
そういう幸福そうに働き十分な余裕を持つ親を見て、子供もまた未来に希望を持ち幸福を目指せる下地が出来るのだと思います。これは私たちが受けてきた労働者教育とは若干というかかなり方向性の異なるものです。
こういうことが分かって来てふと、
「じゃあこのことを私に言われたいと思う人がどれほどいるのだろうか?」
という疑問にぶつかります。「私は私の人生、余計なお世話だ」と思う人たちに対して、私から敢えて何かを教えたり手を引いたりすることが出来るのだろうかと。一方で明らかに間違った方向に歩みを進める人たちに対して、私はやっぱり何かをして行くべきなのではないか。
時にはその人を傷つけることもあるのかもしれない、でも何もしないという訳にも行かない。
私は何が正しくて何が間違っているのかが経験的にかなりの精度で見えるので、せめて私の持つ考えはきちんとインフルエンサーとして世の中に発信していくべきだなと感じます。
それが正しいか間違っているかよりも遥かに、一つの参照先としての解答例を展開することには価値があると考えます。
「今から始めれば30年後に芽が出る」そういう長い目線での未来志向でこれからも活動を続けて行きたいですね。