先日ベランダの小鳥を見ていて思ったことがあります。
うちのベランダには草花が沢山植わっているので、食事を求めて沢山の鳥が遊びに来ます。良く見ると雀にヒヨドリに目白に意外とにぎやかです。
まあ言ってしまうと私の私有財産に無断侵入して資源をかすめ取って行ってくれているわけですが、一方でそういう光景を見て微笑ましく思う自分が居るのも確かです。
「これってもしかすると貧しい人たちが私から奪って行ったのと同じことなのかもしれないな」
小鳥に対して抱く思いは小さな可愛い姿で懸命に冬を生きる可愛い姿で、どうぞ私はお腹いっぱいなので好きなだけ食べて行ってくださいという感情です。
ただいま確定申告書をまとめているのですが、昨年は太陽光ケーブルの盗難被害に遭いそれにより70万円ほどの損失を出し数字がかなり悪いです。一方でそのケーブルを私から盗み取ったことでその日の食事にありつけた哀れな子羊も居たのかもしれない。
それなら私は構わないよ、なんか思わずそういう感情が湧いてきてしまいました。
私はその被害を受けたときとても悲しかったです。私が大切にしている施設を踏みにじられ、怒り以上に深い悲しみに襲われました。久しぶりに私が感情面で崩れたのを覚えています。そんな時そんな被害を吹き飛ばす様にテスラの株価が上がり、とても救われたことも同時に覚えています。
結局私の感情とは裏腹に私の分散投資ポートフォリオは絶対に崩れないのです。
もちろん盗みは許されるべきものではありませんが、一方でその盗人もまた一人の人であり、やむにやまれぬ事情を抱え道を踏み外すしか無かったのだろうと思います。
それらの景色を俯瞰して眺め、小鳥たちも哀れな弱き盗人たちも、本当は庇護の対象として私の様な多少は余裕のある人間が与えて行かないといけないのかもしれません。富裕層は人に騙されることも多いという話をどこかで聞いたことがありますが、もしかして彼らの心の中にはそういう騙されても誰かが幸せになれるならそれで良いか、というのも少しはあるのかもしれませんね。
そうやって沢山の人を愛し信頼することで、より富める人間へと成長していくのかもしれません。
思い返すに私もこの盗人たちと結局同じだったんじゃないか?大人たちにわがまま放題面倒を見てもらい彼ら彼女らの心の余裕や社会のリソースを奪い取り育ってきた。世の中を見渡せば窓際社員として会社から給料をかすめ取る人間だって沢山居ます。
こういう人たちが暮らすのがこの世界であり、広く見て全てが生態系のエコシステムであり、皆様も私もその中の一つの小さな存在にすぎないのでしょう。
明日もきっとまた小鳥たちがベランダに遊びにくるでしょう。まあたまには私もリターンを得たいので捕まえて焼き鳥にするか、というのはまあ冗談ですが。
何だか私にも少しだけこの世界の美しさが見えるような気がしてきました。