つくづく思うのですが、お金をもらうというのは相手の求める物を提供するということだなと。
例えば相手に本当に役立つ情報を提供することと、例え真実から遠くても相手が聞きたいと思っていることを話すこととどちらが儲かるでしょうか?これはもう間違いなく後者です。
だから世の中はややこしいのでしょうね。
わざわざお金を払って有難いけど鬱陶しいお説教なんて誰も聞きたくないでしょう。それよりも耳ざわりの良い自分の知るものに近いそれっぽい話を聞いていた方が心地良く金払いも良いのは当たり前です。
あほだと言われて受け入れられる人が果たしてどれほどいるだろうかというと、まあほぼいないでしょうね(笑)。
商売の難しさもかなり近いものがあって、お酒を飲みたいという人にこれの方がもっと体に良いからと言ってオレンジジュースは流石に売れませんよね?なんかこういう話にものすごく近いところにライフワークの難しさがあるなと思います。
結局支払われるお金はお金以上の価値があります。それはお金と言うのは商売に対する最高の敬意の証だからです。良いねボタンやフォローよりもよほど価値のある有難いものです。
評価されたという何よりも純粋な証、それが支払われるお金なのです。そしてクレームはお客さんが期待を寄せてくれたその裏返しの気持ちそのものです。
もちろんそれ以外のフィードバックも有難く価値のあるものですが、やっぱり自分のやっていることの社会的貢献や実感やり甲斐を強く感じるのはお金を受け取ったその瞬間です。
これはどんなにお金を持っても覆せない今の世の中の真理だと思います。

お金は評価の証であり、お金の先の世界はきっと私たちの次かその次の世代くらいから少しずつ芽生えてくるのでしょうね。やっぱり最後はお金じゃなくて、もっと違うそれこそ良いねやフォローの様な物が台頭してくるのだと思いますけどね。
それらをきちんと飲み込んだ上で、得たお金は留めるのではなくきちんとまた社会に向けて流して行く、それにより健全なお金の生活を実現できる。それが真理だなと思います。
お金はやっぱり淀ませても価値がありません。
ライフワークと言えども利益の出ない活動は資本主義社会において永続することはありません。ここをきちんと見据えつつ、やっぱり自分の力が世の中の幸福に役立ち、その実感を得られるような、そんな仕事を創って行きたいですね。
とても役に立つ実践的なサービス、且つお客さんの潜在的な欲求願望をも満たすもの。ここにライフワークの目指すべきビジネスがあるのでしょうね。
このライフワークと商売の関係って結構大切なことだなと思いますので、ここにきちんと書き記しておきたいと思います。
