何かの弾みでふと、幸せだった瞬間を思い出すことってありませんか?
私は魚釣りが好きなのですが、それは母方の祖父母が海の目の前に住んでいた影響で、よく祖父に連れられて餌のゴカイを取りに行ったり釣りを指南したりしてもらったものです。
祖父も毎年それを楽しみにしていたみたいで、私が来る時期には餌を取ったり仕掛けを作ったりしてくれていたみたいですね。
みんなで釣ってきた魚を祖母が捌き煮つけにして、その時のカサゴやメバル、ベラやメジナの煮つけの味とそれぞれの魚の個性的な香りは今でもよ~く覚えています。
そういえばたまにカニを突いてくれたりしましたね。確かワタリガニだったりモクズガニだったりだったと思いますが、それがまた美味しいのさ。
父親と明石の方まで行って釣りに行ったり、普段はちょっと怖くて接しにくい父が魚を釣った時は笑顔で褒めてくれたりと、何だかんだ私のことを愛してくれていたのだなと今にして思えば幸せな日々でした。
誰かに愛情を与えれば、それは必ず大きくなって返って来ます。いや、例え帰って来なくてもそれはまた誰かへの愛情として世界を満たして行きます。ありふれた言葉ですが世界を救うのは愛ですし、そこに何も嘘偽りもありません。
もう今では出来ない女の子との対等な目線での恋愛も、失恋の辛さなんかも時間が絶てばそれもまた良い思い出になります。そして家族が出来て子供が出来て、人の幸せというのは何一つ特別な物は有りません。
人が幸せになるなんて当たり前のことなのです。
今日娘と買い物に行っていて、私を見失った娘が私を探しにどこかに行ってしまって、慌てて探しに行ったらそれを見掛け気を掛けて下さった淑女の方の前で泣いていました。お礼を言い引き取り慰め歩くその時間に感じる子供への愛しさも、いつか娘が生意気になってきた頃に思い出すのでしょうね。
私は例え10兆円もらってもこの思い出を手放したくはありません。お金と言うのは行ってしまうとその程度のものなのです。
思い出作り、ちゃんとしてますか?好きな人に愛しているときちんと伝えていますか?
思い出こそは最高の資産だと、今しかないこの時間を大切にしていたいものですね。
