いつも将来をどうしたいか?それを描きながら生きて来たなと思います。そして周りの人たちを見ていて、何で今しか見ないのか?これが不思議でなりませんでしたね。
幸福を掴むというのはものすごくシンプルで、でも実際にやるのは結構難しいものばかりです。でも本当に当たり前のことばかりで、それが実行に移せるか移せないかだけの差なんでしょうね。
能力とか才能とかは確かに結果を出すまでの時間に影響をするとは思いますが、実際のところ個人が幸福を掴むことを考えた場合あまり関係無いなと思います。
若い内って本当に何をやっても様になります。別に20代でふらふらパチンコしてたって、それはそれでそういう世相の中の若者なんだなと言う何というか絵になるものです。
でも10年後は違います。そういう姿を自分も社会も許さないようになります。そう、社会がどう見ようがそんなことはどうでも良くて、自分が許せなくなるというのが怖い所なのです。
今の自分がやっているままで10年後も同じ様に居るわけには行きません。それが20代の人達がいつも陥る罠で、若く美しい時代はすぐに過ぎ去り若さのメッキが剥がれた人生がいつか必ず始まります。
私はいつもどちらかというと将来に対する危機感で動いて来たなと振り返り思います。だから今になって年齢相応のものを手にしていて、誰にも恥じることなく自分自身を正々堂々と語れるのだと自己評価しています。
ただ今はこれで良くても、10年後もこれで良いとは思っていません。10年後は10年後なりの成長を掴まないことには、今と同じ様な幸福な生活を維持することは出来ないのです。
最近はどうも30歳と言うのは「若い」らしいですね。私は自分が30歳の時に自分を若いだなんて1mmも思っていませんでしたが、まあ思い返せば当時は周りの人達も若者扱いしてくれていたのでしょうね。でもそういういつも感じていた危機感が、自分を押し上げてくれていたのも事実です。
とにかく怖いのはその年齢になるまで現実が見えず、且ついざその年齢になり現実が見えた時にはもう取り返しがつかない修正のしようが無いということですね。だから周りの年上の人たちを見て少し先の現実を知るというのはとても大切です。
私が幸運だったなと思うことの一つはそういう年上の友達が居たことで、いつも口酸っぱく説教臭く私に年上の世界を教えてくれていたことですね。そういう人たちと話していると確実に自分の視野が広がり成長を促します。これからもそういうある種殊勝とも言いたくなる様な人は大切にせにゃならんわ。
結局周りの人たちを大切にできるかが成功のたった一つのカギで、付き合う人間は別に無理しないでもどのみち自分と同レベルの人たちに自然となっていきます。それはつまり自分のレベルを上げれば周りのレベルも上がっていくことを意味し、わざわざ無理してレベル違いの人たちと付き合いを作ろうとする必要なんてないのです。
成功の法則なんて本当にシンプルで、こんな方法論は何十年も何百年も前からあるはずなのに、なぜ私たちは学校でこのことを習わないのだろう?なぜ人を教え導くべき学校の先生がサラリーマンで、資本家の人たちはせめてその本当の成功のための教材を作ろうともしないのだろう?
なぜ社会に資本家に都合の良い考え方を身に着けた大人ばかりが量産されていくのだろう。
この辺りに今の社会の仕組みの恣意的な格差発生の明確な意図があり、このことに気づいた人から見えない扉をすり抜けてこっち側の世界に来れるのだろうなと思います。
まあとにかく人生と言うのは年齢を重ねるほどに難易度が上がって行きます。だから立ち止まっていてはなりません。
10年後の自分をイメージし、こうなりたい、こうなっていたくない、その両方を具体的に描きながら理想の10年後を創造して行きたいですね。
100%訪れる10年後の未来に今から投資をしていく。こんな当たり前のことが出来るかどうかが、人生の成否を分ける選択肢となって行くのです。
