よく負け惜しみの様に「学歴なんて関係ねえ」、という言葉って聞きますよね。
滑稽だなと思いつつも実は私もそう思っています(笑)。結局学歴が良いから頭が良いわけでも能力が高いわけでもありません。それでも受験勉強で勝つことが大切だったのは結局「何が有利になれるかを見極めている」これに他なりません。
特に私の学生時代は学歴が珍重され就職でも明らかに有利なのは分かっていました。そんな時代に勉強が嫌いだ勉強する意味が分からないからとか言っているのは本当に頭が悪いとしか言いようがありません。
この時流を見極めている、というのが頭の良さそのものであると私は理解しています。
世の中のニーズにより求められる能力は常に変化しています。一昔前は広く物事をまんべんなくこなせる人間が重宝されました。それは一部の職人的な技能を低コストな労働力に任せ、それらを統合管理制御してエンドユーザーへの商品価値を生み出すことが非常に社会的に意味のある仕事だったからです。
大企業メーカー職で給料が高いというのはこのことに他なりません。
そしてこれから時代はまた変わり、これからは特技得能的に何かをこなせること以上に広く深い考え方を持ち人々の相談に乗ったり導いたりする能力が非常に重宝されると思います。
ある意味これを出来る人間がとても限られているということで、今は誰かの「先生」になるポジションと言うのは非常にがら空きになっていると思います。コミュニティの運営者は大きな利益を得やすい時期とも言えますね。
これは私も視野に入れている事業活動領域の一つでもあります。哲学カウンセリングは私の生来持つ得意領域なので、私の技能と合わせると絶対に活きて価値を生み出してきますしね。
これからの時代受験勉強が出来ても正直言うとそんなに意味は無いかなと思います。欧米は日本以上に露骨な学歴社会ですが、その学歴が活きて来る専門職の市場はどちらかというとこれから新興国にシフトして来るはずです。
もちろんその価値はゼロにはなりませんしやる意味が無いとも思いません。ただ相対的にこれまでの時代に比べるとその価値は落ち、その代わりに個人で何か一つの世界観を作ったりコミュニティを作ったりの方が遥かに芽の出る商売になる気がします。
まあお金なんて学歴とかの無形文化資本に比べると紙切れほどしか価値のないものと思いますが、お金はお金であればあったで便利なのでがっつり稼いで行くべきですね。
私はこういう先の読みにくい不安定な時代は全科目偏差値65戦略みたいなものを組みますし、まあ言うてもそれって昔からあまり変わっていません。
勉強が求められればするしやりたいことがあるならそれもやる。全部やりながらバランス良く自分の中に可能性の種を撒き続け、時代の波と自分の適正のマッチングが取れるその瞬間に価値を生み出し利益を取る。
もちろん得意不得意は有るので全部が全部という訳にも行きませんが、出来ることはとにかく手広くやっておくべきです。そういう生き方がこれからの時代に勝つための生き方になると思いますし、何か一つのことが異様にできたところでどこかの会社が無料でその市場を攻めて来れば一瞬で価値は消失します。
私たちはそういう古臭い価値観は捨て、米国中国インドの巨大な恐竜の様な企業が跋扈する世界を、小さな哺乳類動物の様に柔軟に賢く生きて行くべきです。
時代の変化を常に読む目を鍛えて行きましょう!
