「何故だろう、こんなにも完璧に整ったシステムの中に歪みが散見されるのは?」
こんなにも社会システムが整った世の中、それでも不幸な事件は後を絶ちません。私も何度か実際に犯罪に巻き込まれた経験もありますし、今一つ上手く機能しない抑止のシステムも散見される世の中です。
思うに「制度の悪用」ここに一つ原因があるように感じます。
例えば保険、太陽光発電事業でもあるのですが実際にかかった費用以上に請求し利益とする。生活保護や補助金の不正受給。ルールを逆手に取った脱法的節税や転売の横行などなど。
それ普通に考えておかしいよね?ということをやってしまうことがその原因にあるのだと思います。
この「社会の普通感覚」のコントロールがみそなのでしょうね。
その結果本来の制度の趣旨を理解し活動している人たちが割を食い、本当に助けを必要とする人達にその仕組みが機能しない。
これは由々しき事態です。
一方でそういった一般的に悪行と定義されることをする人達の心理をプロファイリングすると
・そうしないと生きて行けない。
・今まで自分もそういうことをされてきた。
・なんで自分だけこんなにひどい目に遭わなきゃいけないんだ。
・それならやりかえしてやる。
・ルールの文面には背いてないからいいでしょ。
・自分は悪くない社会が悪いからやっても良い。
こういうところなのかなとも思います。
それは一重に貧しさから来るもので、もし自分が満たされていたらそもそもそうまでして悪事に手を染める動機がありません。因果応報とは正にその通りで自分なり家族なりに絶対に将来返って来ますので、そういったことをするのはむしろ負の連鎖を自ら引き起こす行為に他なりません。
運は変動しながらもコントロール可能で、運を悪くするのもまた自業自得です。
対策手法は幾つかの大きなブロックに括れると思います。
①能力開発や倫理の教育
②貧富格差の抑止
③社会そのものを豊かにする
世界が豊かになるほどに富める人は増え、過度に富める富の偏在を抑止し多少平等方向に富を配し、そもそもの一人一人の魅力を引き出す教育システム。人類がこれから先に進んで行くためには皆が富める時代を築いて行くしか方法は無いというのが私の結論です。
そうすれば次第に制度悪用悪行の必要性が消え失せ、本当に救済を必要とする人達に支援の手が届く。
それではこれを誰か一人の救世主や国が主導して出来るかと言うとそれは無理だと思います。大切なのは一人一人がリーダーシップを持ち自分の身の回りから変えて行くこと。
「リーダーシップはチームリーダーに宿るものではなく、チームメンバー一人一人に宿るべきもの」
例えば50年後に自分の行いをあの世で両親や祖父母に誇れるだろうか?尊敬する先輩や友達に笑顔で報告できるだろうか?
あまり綺麗ごとを言うつもりはないのですが、そういうマインドが自分自身を本当の幸せの高みに連れて行ってくれるような気がします。
カッコ良くありたい、そうは思いませんか?
世界を少しずつ変えて行きたいですね。私はそのために私が信じる道を進むのみです。
