私の中にどうしても拭いきれない疑問がある。
何故今世の中はここまで懐古主義が広がっているのだろう?
ゲームなんてリメイクばっかり、もちろん新作もあるけどやたらと目につく昭和平成時代の魅力の再発見ネタ。あの頃を懐かしむというのは分かるにせよ、何か過去に置き忘れてしまったかのような不思議な価値観の台頭。
あの時に戻ってやり直したいな、ということなのだろうか?
かく言う私はもう昔に戻りたいとは思わない、何故なら今に至るまでの努力が全て帳消しになるなんて考えられないからだ。それくらいその時々に一生懸命生きて来たし、今のこの幸せが幻と消えてしまうのはとても寂しくやり切れない。
人生の幸せなんて本当にシンプルなもので、そのエッセンシャルな幸せを取りそろえた上で、夢を叶えたりお金や名誉のために必死になったりと生き甲斐の追求はあくまで追加のおまけ要素です。
今の私には実家に子供を連れて帰省する以上の幸福は有りません。
もちろん友達と遊んだり華やかな時間を過ごしたり何か商品を開発したりも楽しいけど、それはまあ言葉を選ばずに行ってしまうとおまけみたいなものですね。そのおまけ要素を充実させるために何かプロジェクトを立ち上げて事業開発をしていくくらいかなというのが率直なところです。
何かこの辺りに先述の懐古主義への回帰の理由があるように思えてなりません。
両親に愛され家族みんなで幸せだったあの時に戻れる様な、そういう感情を想起させるサービスに触れたいというのが素直な心理なのではないでしょうか?
いつもうっとおしくすら感じていた両親の愛情、自分が愛されていたことを実感できずに今になってそれを噛みしめ、祖父母の家でお小遣いをもらって欲しいものを買ったり、その当時の宝物を思い出す。
そんな誰もが経験してきた様な懐かしい感情が重なり、そしてあの頃に戻りたいという思い、降り積もる後悔の染みる心を潤しながら、今日の痛みに耐えている人たちもいるのだろうか?
過去は変えられない、今から未来を変えて行くしかありません。それは確かな事なのだけど。
たまには過去の思い出に逃避し、自分を癒したくなる時があっても良いじゃないかと。
本当の親孝行はやっぱり孫の顔を見せてあげることなのだけど、それはそれでやっぱり個々人で色々な事情がある。連綿と続く親と子の絆の歴史を紡いで行くことは大切な事だけど、やっぱり私も親として思うのは子供が幸せになってくれればそれが一番だなと言うことです。
今のこの時間すらもいつか懐かしいなと思い返す日が来るのだから、じゃあ今日も明日も一生懸命生きて未来の自分への贈り物にして行けば良い。
老後の最高の贅沢とは何かを教えてあげよう。それは「過去の美しい思い出を振り返る時間」です。
たくさん写真撮ってください、映像に残してください。それは将来何億円払ったって手に入らない宝物となります。
「未来派懐古主義」そういう言葉も実に文学的ではありませんか。
