「ああもっと大衆受けしたいなあ・・・」
SNSやっていると如何にこの「大衆受け」が難しいかが良く分かります。
思えば私も話していて楽なのは自分と同レベルの人達で、やっぱりそれなりに年収があったり社会的な地位があったりと、特別高いステータスでは無いのですがやっぱりそれなりにしっかりした人達と話していると本当に楽です。
話の土台の知識とか価値観が近いからなんですよね。
逆に自分より何と言うかまだレベルが至っていないなと感じる人たちと話していると、自分の価値観を相手に押し付けているような気分になって来て何ともいたたまれず距離が出来るようになって来ます。
ただ私としては特に壁を設けることも無く、色々と面白い人は面白いし、もっと大衆的にみんなに好かれる人間でありたいなあと言う我儘を持っていたりします(笑)。
これって所謂上位者の憂鬱で、私ですらこれなので本当に上位層の人達ってもっとこういう感覚に孤独を感じているのだろうなあと想像します。
一方で私も心のどこかで大衆感覚を見下している部分もあるのだと思います。
・ネガティブマーケティングをする人達
・即時快楽寄りの気持ち良いけど嘘ばっかりがまん延する風潮
・勉強不足から来る本能的な応答習慣
こういうのって人の本能に近い部分の原始脳的な反応を利用していて、私はこういうのは避けて通ることで自分自身の生活の優位性や先見性を確保する様にしています。
一方でそれって大衆的な理解を得られ辛くするアプローチでもあるので、こういうところに何とも言えない寂しさや物足りなさも感じたりします。素直に笑う人ってやっぱり魅力的ですし、そういう本能的な部分に忠実に生きる生き方ってそれはそれで憧れたりもします。
難しい・・・個人としての成功を掴むのは簡単な事だと思うのですが、大衆的に好かれる人になるって本当に難しいなと思います。
私としてやるべきことと言うのはその大衆感覚に目を向けてそれを肯定的に捉えて行くということなのかなあと最近は考えています。イラストにしても自分の好きな絵柄ばかりを描かないで、今の流行りの画風を参考にして模写もきっちり練習するなどなど。
真面目で玄人が好むことばかり言っていてもそれは真実に近いけど面白いものでは無いわけで、もっと大胆に馬鹿っぽいことを言って場を沸かせるのもインフルエンサーとしては大事なわけで。そういうところは今週の動画でもちょっと出してみました。

私が歩み寄らないなら相手も私に好意を持つわけもなく、そういうところが私はまだまだお子ちゃまだなあと思うこともあります(笑)。
私はもっとみんなに好かれたいんですう!
っていう何とも今まで感じたことの無い感覚に戸惑いつつ(笑)、まあこれがSNSをやることによる私自身の人間的成長なのでしょう。私もまだまだレベルを上げて行かないといけませんし、泥臭い経験もどんどん積んで行くべきですね。
そして究極的には人に貴賤なんか無いわけで、私ももう少し襟元緩めて大らかに大衆的感覚を身に付けて行きたいなあと思うのでした。
