最近扱うお金の桁が変わってきました。
思えば学生時代、社会人なりたての頃は10万円が大金でした。
10万円あれば語学留学に行ける、10万円あれば欲しいブランド品が買える。
そして30代になり、今度は100万円が大金でした。
「ロレックス欲しいなあ。でも100万円か・・・」。そんな感覚です。
いよいよ40代に入り、今度は1000万円が大金です。
買い物にはちょっと使えない金額です。
とは言いながら収益不動産を購入しようとしているのですが。
この調子で50代は1億円が大金だと言っているのだと思います。
お金は結局はお金でしかないことが分かってきました
いざ自由に動かせるお金が数百万円あっても、実際のところは使いたいと思う対象があまり無いです。
服にしても時計にしても車にしてもそうですが、買っても持て余しますし使いやすさで言えば圧倒的に廉価品に軍配が上がります。
家を購入するにしても別に中古をリフォームすれば新築と変わらない綺麗な家になります。家はあまり広すぎるとそれはそれで持て余しますし無駄を感じてしまいます。
正直これから私生活でお金を使いたくなるのは教育費か家族との思い出作りのための旅行くらいだろうなと感じています。
教育費にしても結局は子供の適性によるもので、工夫をすればお金をあまり掛けずに育て上げることも出来ます。お金を掛ければ良いというものでもありません。
「さあ、今日は散在するぞ!」
と意気込んで高島屋やヨドバシカメラに行くのですが、結局
「まあこれもう持ってるし今日はさんまと金麦買って帰るか」
で終わります(笑)
お金は選択の自由を得るための権利書
それではお金を持つ意味は無いのかというとそんなことはありません。
お金があればいつでも欲しいものが買える。お金で手に入るものはすべて手に入ります。
例えば体を壊して仕事が出来なくても、私の様に子育てを暫く優先したいと考えても、将来の収益のためにサラリーマンよりも事業構築に専念したいとなっても。
そんな時に生活費を暫く賄うお金は絶大な価値があります。
逆に言うと仕事が毎日楽しくて仕方ない、欲しいものは釣り竿くらい、子供の教育費も大体見通しが立った。そんな方にはお金は優先度が低いでしょう。
お金は大切、だとかお金のことを話すのは悪い、ですとか所説意見は様々ですが、結局お金はお金でそこに綺麗も汚いも無いのです。
既に張り合いあるライフワークを手に入れている方、子供の教育や老後に十分な資金がある方、欲しいものを一通りお持ちの方。
そんな方にはそれ以上のお金は必要無いのです。お金のことを考えるのはとにかく時間を取られます。
お金は人生の権利を得るための権利書です。
私は不動産の海外進出のためにまだまだお金が必要です。これからもお金については真剣に考えていきます。もちろん莫大なリソースをそこに投入します。
いつかはメガバンクからの融資も引き出したいです。
そのために今はコツコツと負債を返済しながら経験値と事業黒字の実績を積み上げていきたいと思います。少しずつ信用力を蓄積していきます。
手元の現金を厚くし、先ずは現金1000万円常時保有を目標にしたいですね。
それでは本日もありがとうございました!