いざ少しずつお金を持ち始めて思うのは、結局私生活は変わらないなと言うことです。
お金はやはり空気や水、食料や燃料みたいなものです。こう捉えておくと間違いありません。
無いと生きていけませんが、あればあったでそれ以上のものが得られるかと言うとそうでもない。空気が有り余る状況ではそれ以上息を吸えないのと同じく、水があり過ぎても安心ではありますが飲みきれるものでも無い。
エンジンを動かす燃料の様に上手く使えば多くの成果を出すことが出来ますし、お金を使うということは誰かのビジネスへの貢献となりそれなりの対価や良い商品からの満足感を得ることも出来ます。
それでもiPhone14と先ほど収穫した茗荷どちらが嬉しいと聞かれれば茗荷ですね。iPhone14買っても今使ってるGalazyS10と何が違うかと考えると「う~ん、OS?」くらいしか思いません。
きっとBMW X8を買っても「やっぱりHonda Freedで良かったよな」と思うことも体験上知っています。
人にとって十分なお金って、実はそう多くは無いんですよね。
自分に問う、金持ち父さんと貧乏父さんどちらになりたいですか?
かたや貧しく、尊敬される仕事をし、誠実で信頼され、人のために生きる父親。
かたや富み、商売っ気が強く、自分のビジネスを第一に、自分の人生を楽しむ父親。
私は前者の貧乏父さんになりたいと言う思いの方が強いです。お金が無くとも豊かな交友関係の中自分自身に誇りを感じて生きる誠実で素敵な人生。しかしながら私にはそうなる資質が無かったと振り返り思います。
もし娘がどちらの方向に進んで欲しいかと言うとやはり前者です。
それなりに誠実で、善意があり、尊敬される仕事をする方々に囲まれる彩り豊かな人生を送って欲しいなと感じます。
それでも私はきっと後者の金持ち父さんの様な道にしか進めないと思います。それはどこかでバランスを欠いた性質から来る一長一短のはっきりした特徴から来るものです。
これしか出来ないからこれで進む。自分の能力が高いとは思いませんが、このまま破綻しないレベルでサラリーマンを維持しながら資本家の道を進むことでそれなりな金持ち父さんとしての人生を開花させていきます。
お金があるより幸せなこと
私は年間500万円も収入があれば十分に幸せな生活が出来ます。
仕事の量を半分にして時間的精神的な余裕を作り、子供の教育に時間を使った方が遥かに子供にとって価値があることも良く分かっています。
それでもそういう人生を選べない自分がいます。このまま走り続ける以外の道は考えられませんね。
たぶんこれが私と言う人間なんだと思います。
もし人生をやり直せるなら、学生時代にもっと多くの友人を作り、自分のためだけでは無く人のために時間を使い、一生懸命勉強して立派な上場企業や公益団体で社会運営のために力を使いつつ、30代はセミリタイア的な生活を送りつつ子供を育て、40代くらいからまた仕事に一生懸命になる、そんな人生を描くでしょう。
きっとお金持ちにはなれませんが、お金は水と同じで適度な量があれば十分です。
何となく貧乏でも仕事がしんどくても名のある上場企業で仲間と飲み会に行く先輩を羨ましく思うのはこういうところなんでしょうね。
せめて後悔の無い様にだけはしたいですね。そのためには今の目の前のことに常に夢中になりましょう!
さて、本日は両親に釣った魚をクール宅急便で送って、畑でニンニクやエシャロット、大根や白菜なんか植えて、釣った魚と収穫した茗荷や野菜で夕食を作りたいと思います。
せめて良い家くらいは買おうかなと思うものの、幸せな生活と掛けるお金は全くリンクしていないですね。