こうして改めて実家でのんびりしていると、本当に親という生き物はいつまでも子供を子ども扱いするものなのだなということを実感します。
そういう意味では人はいつまでも子供であると同時に、子供を持った時から大人なのです。
この連環のリンクの中に居ることで得られる精神的な安定や安らぎというのは、人が人として幸せを享受するための欠かせない要素なのかもしれませんね。
そういう意味で子供を持つということが必ずしも実子である必要は無くて、養子を持ったり子供の面倒を見たりするような仕事でも同じことが言えるのだと思います。
こうして親からの無償の愛の存在を知ると、より世界を広く人生の先輩方から受けていた愛情をもとらえることが出来ます。
もし私が窮地に立ち助けを必要とすることがあれば、私の人生の先輩方はきっと私に手を貸してくれるでしょう。そしてそれにより与えられたものを私は次世代に返していく義務を背負うことになるでしょう。
私もそういう貸し借りを嫌がっていた時期もあるのですが、どのように生きようが人はその借りを受けないわけには行かないのだと思います。
一緒に花火したいと泣きじゃくる子供を見ていると、この子にとってはこの花火を親とするということがまるで人生で一番大切なことのように映っているのでしょうね。
そして私が抱える悩みもまた、私より上の世代の人たちから見たらとても小さな可愛らしいものなのでしょう。
結局人を信頼しその恩を受けるということが大きなお金を稼ぐということなのだと思います。そして得たそのお金はあくまでそれを送ってくれた人、そしてそれを送ってくれた人に送ってくれた人、その永遠の連鎖の中での一つのプロセスとして、また私も誰かにそれを送って行かないといけないのだと思います。
お金を払うということは何よりの忠誠や信頼の象徴であり、それは愛が形を変えたものと考えることもできますね。何かものすごく当たり前のことを今まで見落としてきたなと感じます。
自分を育ててくれた人たちに感謝をし、また私も疎まれてでも子供なり後輩たちを育てていかないといけないなと思います。
「親孝行をしたいときに親はもういない」。そうやって私の人生の先輩方が残してくれた言葉を頼りに、今私はこうして今まで両親に受けてきた恩を親孝行して返しています。
そして今は亡き私の祖父母や、その先祖英霊方に顔見せが出来るよう、私が私の生を全うできますように。
いや、まああの祖母はまだ生きているのですが。孫はいつまでもむちゃくちゃ可愛いらしいのでちょくちょく連絡したいと思います。
とりあえず今のうちに親孝行はしておきなさい、ですね。
