今日散歩しながら考えていたのですが、私自身はもうこれから自分のためにお金を使うことはあまり無いだろうなと思いました。
対して私自身お金に不足を感じている矛盾があり、その原因は何かというと
「投資をするお金が無い」(笑)
ここに不自由さを感じているのは事実ですね。結局私がやりたいことの中には投資をしてお金を増やすという行為があるのだなと感じます。
自分で使いもしないのに増やしたいというのは幾つか理由が合って
・資産の保険効果をもっと強めたい
・資産変動に対するリスクを元本を増やすことで圧縮していきたい
・投資で増やしたお金を事業に使いたい
特にこの3つ目を考えると、投資をするということはより良い世界のためにお金を使うということです。翻ってそれは事業のための活動コンセプトとベクトルが一致してきます。
もっと良い世界にしたいな、そして事業や投資を通してこの世界の美しいものを集めて行きたいなと。
そう感じているんですよね。
わざわざ世界を悪い方向に導く必要はどこにもありません。素直に
「美しいな」
そう思う方向に世界を動かして行けば良いのです。ここに私としての善悪の彼岸があるのだと思います。
テクノロジーの発達によって人を縛るものが段々と少なくなって来ました。制約の無い世界でこれから世界がどうなっていくのか。
そして何より私はどうしていきたいのか。
昔悩んでいる後輩に相談された時にこう話したことがあります。
「お前はどうしたい?」
美しい思い出の中に、これからの世界を創って行く答えがありますね。
この世界をより生きやすく創り変え、そして痛みの元を絶っていくこともまた私の様な年長者の務めです。この残された命は、若いこれからの世代の世界のために捧げて行くのが良い使い方です。
私として出来ることを小さなことから少しずつ実行して行きます。
それがきっと娘世代のための幸せな世界を築くことにつながると信じています。