資本家として資本財や株式等を所有していると、投下資本から収入が生み出されます。
それが生活費を越え始めた頃から「あれ?これはどういう状況なん??」と不思議に思うことが多くなりました。
資本の運用をメンテナンスはしているものの自分自身は直接的には働いていない。資本がお金を生み出してくれている。つまり労働により得ている対価ではない・・・でもこれで生活できるよね?
労働者ではなく、資本家にマインドセットが切り替わった瞬間でもあります。
思えば無意識にいつも考えていたのが、「お金が欲しいならどこかに勤めなきゃ」ということでした。
ト〇タ給料良いらしいよ ⇒落ちたがっくし(T T)。最終面接手ごたえあったのにな~
デ〇ソーの方が給与高い? ⇒受かったし給料良いけど刈谷か~
ホ〇ダも給料高いよ ⇒面接楽しかったしここにしよ♪
若い頃こんな感じで職探しをしていました。
もちろん車が好きで自動車業界を選んだわけですが、カッコいい企業に勤めてお金をもらって良い生活しよ~ぜ。こういう感覚でとかくどこかの会社で働こうと考えていましたね。
それが今はその考えが180°変わり、労働は資本を増強する手段でしかないという。実際給料ほぼ100%が資本に投下されます。
こうして生活費を投下資本からのリターンで賄えると世界観が本当にガラッと変わります。
日々の生活におけるインフラ、つまり水道やガス電気通信、公共施設である子育て施設や図書館等々の費用全てを資本からの収入で払っています。
自分自身はほぼ不労の状態でこれらを使うことが出来るのです。ああなんて便利で快適な世界。
住宅や車のローンも資本からの収入で賄っていますが、これも実質的には家や車を手出し無しで使っているのと同じことです。
誰かのために働くことは素晴らしいことです。そういう意味ではこれからも自分自身の労働資本は何らかの形で社会に還元されます。
そして私はその労働対価を使って資本への投下を行い、資本からの収入を増やし続けて行くでしょう。この道に迷いはありません。
これが本来ありたい姿なのかなと感じています。生活のための自分を追い詰める様な労働ではなく、十分な生活を送れる経済基盤を確保したうえで社会貢献、というより誰かの幸せのために労働をする。
一番楽しいのは子供との散歩、贅沢は週に一回の外食家族で4000円。こんな生活を続けていると自然と資本に投下する自己資金は増えていきます。
その資本からの収入が生活を支える状態は本当に幸せです。虚栄心を満たす豪奢な家や車も良いには良いのですが、やはりそれを所有するのであればそれらの支払いを資本からの収入で賄えるようになってからですね。
純資産が2億円を越えれば高級車を購入しても無理が無いと思いますが、別にそこ目指していません。それよりも経済的に身軽な状況の快適性に軍配が上がります。
資本収入で日々の出費を支払う生活はまるで世界全体が自分の共有所有物になるような感覚です。何というか不思議な居心地ですがとても快適ですね。
この状況を維持しつつ日々少しずつ良くなっていくようにこれからも資本の運用の腕前を上げて行きたいですね。
それでは本日もありがとうございました!