何だか最近は人から常々色々なものを与えられているということを顕著に感じるようになりました。
会社の方々に色々と声をかけて頂き、仕事について教えてもらったりお願い事を受け取ってもらったり。退屈な時の話し相手になってもらったり。
もちろん私自身も逆に同じ様にして返しているつもりです。それでももっとできることがある気がします。
それは何なのか。
思うに私自身の腕の見せ所は、そうして誰かに与えてもらったものをどれだけ大きくして周りに再循環させられるのかなのだと思います。
嬉しくなる様な親切をしてもらえばそれをより多くの人により大きな親切をする。それは理想的な話かもしれませんが、理性と知性と創意工夫で実現は可能だと思います。
人から恩を受け取ることを躊躇ってしまう気持ちもまた自然なことですが、それを素直に受け取りその受け取った分を私が何倍にもすればきっと恩を与えた人も報われるはずです。
この連鎖と増幅の循環を乗りこなすことが次の世界に繋がる鍵の様に感じています。
お金を得た方法により変わる「お金の使い方」
投資にしてもそうです。私がお金を投じた投資先からリターンを受け取ったのならそれを自分自身が消費してしまうことなく、そのリターンを今度は更に私が増幅して世界を利することが出来れば富の拡大は続いていきます。この場合に私がこの連鎖の増幅の中で投じるのは私の人生の時間ですね。
おそらく私自身が自分の楽しみのために使って良いお金はあくまで汗水たらして労働により得たお金だけなのだと思います。労働により得たお金を投資に回したとしても、その利益により得たお金はあくまで資本主義世界で誰かの労働により生み出されたお金で私自身が私だけのために使うべきものでは無いのです。
まあちょっとくらいは自分のために使っても良いかとは思いますが(笑)。
それは元々が労働により得たお金なのだと捉えると納得が出来ますね。そもそも投資自体労働の側面も併せ持ちますし(明るいビジョンを持った投資先を選定するなどは立派な労働)。
しかしながら本来は子育てだったり、誰かのビジネスのためだったり、私自身が世界を利する労働力としての自分自身を維持するための食事や居住のための費用だったりと、投資により得た利益の用途はそういったものであるべきですね。
ですので最低限の生活や次世代育成のためのお金は投資により得たお金を使い、自分のための贅沢(豪華な家や車や娯楽等)のためにはやはり純粋な自分自身の労働により得たお金を使うべきなのでしょう。
資本家サラリーマンの道を進み投資と労働の両刀な私としては
・不動産運用、太陽光発電所の運営、株式等金融資産投資からのリターン ⇒基本生活費や次世代の教育費、自分や他者のビジネス(社会貢献活動としての)への再投資
・給料、事業活動の金銭対価 ⇒浪費や生活の楽しみ、贅沢等
※不動産、太陽光は事業としての側面もあるため一部は浪費しても良いと考えるべき。
これが正しいとすれば投資の収益だけを使った生活は極めてミニマルなものになるはずですが、世の中を見渡すと辻褄が合っている気がします。
そして一度投資収益だけで生活をしてみたところで、それを続ける中で感じる何か始めたいという気持ちが労働、というよりも貢献へと人を駆り立てます。その駆り立てるものがきっと命であり、若さですね。
何となくこの考え方を持つことで、育休トライアルFIREで感じたどうしようもない空虚感や停滞感すら打破できるような気がします。
一生懸命働くことで、心地良い疲労と共に週末の余暇をよりきらびやかに楽しく、アフターファイブのお酒を美味しいものになる。
ということで労働による充実感を味わい給料は楽しみにもしっかり使いつつ、投資で得たお金は私の基本的な生活や娘の教育、そして世界をより一層豊かにしていくための資金として使っていきたいと思います。
幸せな未来を求めるなら
日常を観察しているとはっきりと見えてくるのは、自分が起こした行動が次の事象を引き起こし、それが伝搬して世界に波紋の様に伝わりながら未来が形成されることです。
その効果はコミュニティーが小さいほど顕著に見られます。
タイムマシーンで未来に行ったところで、未来には何も変わっていない未来があるだけです。過去に行けば現在に繋がる行動を見返すことは出来ますが干渉は出来ないでしょう。
連鎖と増幅の循環を良い方向に乗りこなすことで自分自身が幸せになれるということは動かぬ真理です。でもそれは私が目的とすることでは無い様に感じます。私が与えたものが私に返って来る必要はありません。
私に多くを与えてくださった全ての方が報われるよう、私はその思いを受け継ぎ与えてもらったものをより大きくして世界に循環させていきたいですね。そして娘の住む世界が少しでも良いものになります様に。